Aceのこと

 

AロマンティックAセクシュアルであることを自認したのはいつか?というお話をいただいたので書きます。

メッセージをくださったあなたに書きます。お話を伺うかぎりでは、なんとなくひととおりの用語とかはご存知なのかなと思ったので、他の人向けに解説とかはしません。

かなり個人的な話になるんですけど、ふだんさんざん「知ってほしい」と言っている身としては、私個人に匿名ででもメッセージを投げてくださった方へきちんとお答えしなきゃいけないなと思ったので、書きます。(でも他の人にも応えることが義務だと思ってるわけじゃないですよ、念のため)

 

 

私が自分のことをAロマンティックなのかなと思ったのは、四年くらい前です。大学生のころでした。根拠はありません。「私はこれだな」って思ったのでAロマンティックを自認しています。

自認って全部そういうものだと思ってます。今の自分が、今の自分をどう定義するかです。セクシュアリティは揺らぐ・変わるものなので、昔はそうじゃなかったかもしれないし、五年後はヘテロロマンティックかもしれない。でも今のところ、私は他人に自分の中で「恋愛」と定義できる感情を抱かないので、Aロマンティックです。

 

私はもともと高校生のころからAセクシュアル自認でした。もっと言うと、最初に自認したのは性嫌悪です。自分自身に性的な欲求が向けられることにものすごい嫌悪感がありました。自分が誰かに性的欲求を抱くこともありませんでした。

だから、高校生のときにはじめてできた恋人と、二週間で別れました。手をつないだり相手から好意を表明されるのが苦痛でした。当時はいわゆるノンセクシュアル自認で、「相手の人のことを恋愛感情で好きだ」という自覚があったので、けっこうショックでした。「私は相手のことを好きなはずなのに、なんでこんなに一瞬で気持ち悪くなっちゃうんだ? 実はものすごく冷酷な人間なのか?」というショックでした。

大学生のときにできた恋人には、最初から「性的なことはできない」と伝えることにしました。友だちみたいに出かけるデートは楽しかったし、相手のことは人としてとても好きだったけど、毎日あるなんでもないやりとりや「好きと言ってほしい」とかねだられるのはけっこう苦痛でした。月に二回とか三回とか会うのもだるかった。

この辺からなんか変だぞ? と思いはじめました。世の中では、恋愛感情のある相手とはいつでも会いたくてたまらなくて、会えない間はくだらないことでいいからメッセージをやりとりしていたくて、好きとかいう言葉を言うのも言われるのもうれしいというのが多数派のようだったので。

じゃあ私の「恋愛感情」は世の中の多数派とはちょっと違うんだな、どういうものだろう? と考えるようになって、考えたら、答えがありませんでした。その人に対する特別な感情がなにも見つからなくて、友人に対する「好き」となんの違いもありませんでした。付き合ってと言われたから付き合っただけで、その人と恋人関係になることを希望していたか、その人じゃなければ恋人にならなかったのかと言われたら、ぜんぜんそんなことなかったんですよね。

このへんに至ったのが四年くらい前です。幸いAロマンティックという単語はすでに知っていたので、じゃあ私はそれなんだな、と思うことにしました。考え続けるよりそっちのほうが楽だったので。

 

自認って自分だけのために自分がすることなので、自分がいちばん生きやすい方法を取ればいいと思います。とりあえずいったんクエスチョニングということにするのもいいし、今はAロマンティックAセクシュアルでいいかなって思ってみるのもいいし。それこそ自認が明日変わったってべつにいいので、定義することであなたが生きやすくなるなら、なんとなくこれかな? て定義してみるのもいいと思います。もちろんどれもしっくりこないとか、定義したくないとかなら自認しなくてもいいのだし。

大事なのは、あなたが生きやすいように生きることです。

ある人のたとえなのですが、「恋愛感情」って中身の見えないラッピングがされたプレゼントなんですよね。外の「恋愛感情」ってリボンが同じだからみんな中身が自分の持ってるそれと同じだと思ってるけど、実際に中身はぜんぜん違ったりする。ある人の「恋愛じゃない好き」が別の人に言わせると「どう考えても恋愛感情」とかいうこともあるし、その逆もあるし。私が「恋愛じゃねーな」って思ってる感情を「恋愛感情」の袋に入れてる人もいる。

世の中の恋人や婚姻関係に恋愛感情がかならずあるのか、それがないと家族になれないのかというと、これは私は胸を張っていいますが、絶対にそんなことはありません。

 

なんかあんまりちゃんとした答えになってなくてごめんなさい。

「恋愛感情」は主観の問題なので、あなたが納得できるような結論が出ればいいな…と思っています。でも結論とかでなくてもいいんですよ。きっと。恋愛とかなくてもにんげん楽しく生きていけるし。べつに結論いらねーな、と思われるなら、それがあなたのためにいちばんいいです。

とはいえGSRMの生きづらさは絶対に主観ではなく、それを排除する社会の問題です。正直、疎外感とか悲しさとか怖さが強くて、怒れないときもあるんですが、「恋愛感情や性的欲求があるのがふつう」は絶対違います。それは絶対「ふつう」じゃないです。そういうのは聞く価値もないくだらない社会規範です。

ロマンチックラブイデオロギーとか、恋愛というか異性愛規範社会とかには私はこれからもずっと怒ってると思います。ので、ツイッターでキレ散らかしてても、もしよかったら愛想をつかさず目の端に捉えてていただけるとうれしいです…。

長々と読んでくださってありがとうございました。