わたしのBL

BLが好き。

ネットにふれてオタクと呼べる存在になった10歳ごろからずっと好きなので、人生においてBLを好きでなかった時間のほうがもはや短くなっている。

私にとってのBLとはほぼイコールで「二次創作」で、まあ商業やオリジナルも読みはするけれどメインはやっぱり二次創作。一次創作にどっぷりはまったことはない。

どんなBLが好きかというと、ざっくり言って「かわいい攻め」「かっこいい受け」「攻め←受けのベクトルが強いもの」とおそらく世間のマジョリティBL好きの好みとは真逆をいっている。許すほうが攻め、許されたいほうが受け。救うほうが攻め、救われるほうが受け。闇オークションにかけられるのは攻めだし、それを高額で競り落とすのは受け。暴漢に強引に迫られるのは攻めだし、その暴漢を引きずり倒し顔の形が変わるまで殴り続けるのが受け。

なお私がもっとも重要視する大きな性癖は「リバ」です。

正直なところ心が渇望しているものが常にマイノリティで、どうしてこんなに生きづらいのか……と考えてここ数年分析してきました。結果、ぼんやりとまとまりつつあるので、私にとってのBLというものの分析を勝手にします。完全に自分のためだけの覚書です。

 

私にとってのカップリングとは

=双方向の好意(恋愛感情に限らない)があり性的関係にあるふたり。

恋愛かどうかは関係ないが、性的関係は私にとって必須である。(これは「私が創作する場合」の話で、だれかの創作物を読むときにはこのかぎりではない)

なぜなら、私は、BLというものを「自分からもっとも距離のある創作物」として楽しみたいから。私はAロマンティックAセクシュアルで、他者に対して恋愛感情も性的欲求も向かない。とりわけ要素として強いのがAセクシュアルなので、他者に対して性的欲求が一切向かない私が、性的欲求をお互いに強く抱くふたりを、自分から最も遠い創作物として消費したいのです。

なぜ最も遠い場所にある必要があるのかと言うと、これはまだ自分でもちゃんとわかってないんだけどおそらく「自分事を創作物として楽しめるほど世間や創作物に信頼感がないから」も一因かな……?これはまだ分析途中です。

2021.1.15追記

最近気づいたんですが、私が受けジェンダーと攻めジェンダーをめちゃくちゃにしたい、その受け攻め規範にカウンターしたい、と思ったときに、確実に「攻めが受けに(「男」が「女」に)挿入されることでカウンターできる権力勾配がある」と思っているぽい。というか「挿入する」という行為をもって私は「カウンター」としているふしがある。ある権力勾配が、その下位のものによる挿入行為によって均等にならされると思っている(あるいはそう思いたいのか)だから私のBLに挿入行為が必須なんだなと…

「挿入する」という行為はそれだけのなにかを変える力があると思っている、結局私も男根主義に支配されているということで…これはかなりいやな気づきなんだけど…いやだな…本当はセックスも、挿入も、まったくなんの価値もない、人ひとり変える力持たない取るにたらないものだと思いたいけど、たぶん、私はまだそのフェーズに行けてないんだな。

挿入の方向とキャラ解釈は関係ないと変わらず思ってはいるけれど、キャラ解釈未満の……創作物のなかで表される「機微」というか……Bの目を通してみるAのあいらしさ、とか、性的消費の対象になっているか否か、とか、そういうフレーバーテキスト、というか「いかに客体化されているか」?これを挿入側に付与することで、客体化されるもの×客体化するものという権力勾配を挿入というカウンターでぐちゃぐちゃにしようとしている、ぽい。たぶん。

 

私が求めるBLはなぜ少数派なのか

=世間一般に多い規範の「逆」が好きだから。

世の中、「受け」「攻め」に対するステレオタイプというのがたしかに存在する、と感じる。たとえば、大きいほうが攻め、小さいほうが受け。感情のベクトルが大きいほうが攻め、小さいほうが受け。かっこいいほうが攻め、かわいいほうが受け。等々。

もちろん性癖は十人十色なのでこれに限らないというのは重々承知で、「私は違う!」という人もたくさんいると思います。筋肉ムキムキの髭面受けとか細面の優男攻めというジャンルも存在するのだし……。

でもそれって結局少数派で、マジョリティにはなりえない。BL好きのマジョリティは、たしかにある種の規範に則っていると感じる。(たぶんそれは現実社会のジェンダー観や男女間での権力勾配が不均衡であることや、あと異性愛規範が強いこととかと関係してるんだろうけど、ちゃんとわかってないので省略)

二次創作のBL好きのあいだでよくある「逆カプは解釈違いだから苦手」という認識、これって「カップリングのキャラ解釈が受け攻め規範に引っ張られてしまう」事例の多さから来ていると思うんですよね。

私にとってキャラ解釈はセックスポジションとはまったく無縁で、挿入する側であろうが挿入される側であろうが揺るがない。ABとBAはまったく等価で、単に挿入方向だけが違うという認識。

だけどそのキャラ解釈が挿入方向、セックスポジションに付随するステレオタイプに引きずられてしまうから、あるいはステレオタイプに近いキャラ解釈を好むから、「逆カプが解釈違い」という事案に発展するんだという仮説。

そうなったときに、私は「世の中に多い受け攻め規範の逆」が好きなんですよね。

単に「かわいい攻め」「小さい攻め」「受けから攻めへの強いベクトル」という表象が好きなのではない。それらが、世間的に言うと受けや攻めのステレオタイプの逆をいっているから、だから好き。

言葉を選ばずに言うと、私は「受け×攻め」が好き。そう、「受け×攻め」が好きなのだ……なんだそれは……。リバがめちゃくちゃ性癖なのも、絶対に「攻め×受け」が「受け×攻め」になる一瞬があるから。

リバの話は長くなるので割愛します。なおじゃんけんで上下を決めるリバもそれはそれでよきものですが、私は受け争いのリバが好きです。抱かれたい攻めが受けに抱いてもらうリバが好きです。

なぜそんな規範の逆を行きたがるのか。

それはおそらく「権力勾配をぐちゃぐちゃにしたいから」「世の中の規範をぶちこわしたいから」。結局世の中へのカウンター創作としての一面だと思うんですよね。

 

つまり私にとってのBLとは

=反抗期。

身も蓋もねえ~~~~~~~~!!!!

でもまじで反抗期なんだと思います。ていうか私適切な年齢で反抗期やらなかったんですよね。いちばん親しい家族という存在に対して、相手の意見と反対する自分の意見をぶつけて、コミュニケーションをとって認め合うということをしてこなかった。それで自我や自他境界を作るのを怠ってきたし、できてなかった。

だからいま社会に対して、それに反対する、おれのBLはこれだ!をぶつけて好意的な反応をもらって自己を確立する、反抗期やってるんだと思います。身も蓋もねえ~~~~~~

 

でも意識的にそれをやってるわけじゃなくて

ほとんど好きになる推しカプとか創作物はもう「パッション」て感じで、あんまり上記のことを意識して好きになることはないです。

本能でこれ!と好きになる→なぜ好きなのか?を分析する→いつもの反抗期構文だなと気づく この流れ。

反抗期したい意志と、このBLがすきだと思う本能とが、完全に癒着してて思考もシームレス全自動化って感じ。

 

こういう話を人にもたくさんしてほしいし人の理屈を教えてほしいんだけど、あんまりみんなしてくれないんだよねえ……。それこそ性愛者の人だったら自分のセクシュアリティや内面化してきた規範と密接にかかわるところもあるので(BLは性的に抑圧されてきた女性が主体的にポルノを楽しめるジャンルだという側面もあると思うので)(もちろんそれだけじゃないとも思う)他人に語りづらいというのもあるのか……と思う。

そんなこと考えたこともなくて全部がパッション、という人もそれを突き詰めると「理屈」がある気がするんだよな~。べつにぜんぜんなくってすべてがパッションでもまったくいいんだけども。

その点わたしはセックスにかかわる部分がAセクシュアルなので語りやすかったというのもあるかな~。

 

ということで、理屈がわかったからといって自分の好みを変えられるわけではないので、これからも私はマイナー好みに苦しみ続けるんだと思います。

ちなみに直近でどはまりしたカップリング(奇しくもふだん左右がばがばのリバ好きの私なのにこれがまじでめずらしいことに固定カプ)はpixivでイラストが20件、小説が2件でした。毎日ツイッターもカプ名で検索してるんだけどほぼツイートが増えない。カプ名でですよ??そんなことある???かなしい なぜ……

でもこういう自分の内面のことをわかっとくといろいろに理屈がついて納得がいくし、おもしろいし、安心感があるのでここまで深掘りしてよかったなあと思います。これからもBL反抗期やっていくぞ!