窮鼠はチーズの夢を見る・俎上の鯉は二度跳ねる 水城 せとな

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα)

俎上の鯉は二度跳ねる(フラワーコミックスα)

水城 せとな

 

「愛情」ってこころのありようではなくて「実践」「態度」のことを言うんだなあと思った

ふたりとも大伴のことを信頼していなくて、大伴は今ヶ瀬に歩み寄り歩み寄る自分のこととも向き合えるようになったけど、今ヶ瀬は結局最後まで大伴ことを信頼できていない ヘテロに「なれなかった」ものの呪い よかった 地獄が描かれていて 存在され見逃される地獄が

あと八景島シーパラダイスじゃん!てテンション上がりました

愛情とか信頼とかそういう明確なものは存在しない 存在しないからこそ実践するしかない そして実践したそれが、そのつみかさねこそが、愛情や信頼と呼べるものになる

おもしろかったな〜 恋する暴君と読み比べよう 森永くんと先輩のかなりのコミュニケーション実践ぶりと、大友と今ヶ瀬の及び腰ぶりを

やっぱ実践を伴わずに自分の内面だけ見てくたくたしゃべってるのはだめだね 行動が伴わないとだめ なにを言うかではなくなにをしたかがその人そのもの

自分をあきらめようとしている相手に「ここにいて」って言うのは怖い

その責任を取ることも、それは自分だけのエゴであって相手にとっては幸せじゃないってつきつけられるのも怖い、自分の感情すら信用できない

だけどそれじゃだれともつながれない

だから、それでも自分の感情を認めて、それを相手に提示したうえで、「これからどうする?」ってちゃんとコミュニケーションをかさねていこうとできた、そこにたどりつけた大伴恭一はすごい

 

あと自分のAロマンティックAセクシュアルをより明確に自認した気がする

私はあんなふうな自分の理性がきかないほど誰かに入れ込んでしまう感覚も性行為に入れ込んでしまう感覚もまったくわからなくて共感がない

ぜんぜんぴんとこなかった(それはそれでおもしろく読んだ)